原発は子孫への良き贈り物なのか?

原発は児孫への良き贈り物なのか?
2011.6.21~
 

原発は子孫への良き贈り物なのか

原発推進は「児孫じそんに美田を残そう」のに由来しているのではなかろうか。
逆に西郷隆盛は「児孫のために美田を買わず」と書き残した。

「近々石油も石炭も枯渇するだろう、我々の代でさえ持たないかもしれない。人口増加もとめどなく、低開発国のエネルギー需要は今後底なし」
そういう恐怖心が蔓延する昨今である。資源蕩尽の暮らしをしていれば、究極、神話「ノアの箱船」の寓意に無関心を押し通しきれないのである。児孫にオリーブの茂る大地を残してやれるのだろうか。大丈夫、「核」こそはこれから千年を約束してくれるエネルギーにほかならない?
 
 

他方において、児孫どころか、自分の欲でいろいろなものを欲しがる人たちが増幅しやすい時代でもある。禅の実践など本当にやってみたところで「反動思想で着飾った格好付け」に成り下がってしまう時代なのである。「児孫に美田を残そう」は(西郷ほどには偉くない庶民の)親心だが、原発はもうひとつ「いまの俺様のここちよい暮らし方」の利権の象徴でもある。
電力会社に都合よければ、①大学教授に億円単位の講座寄付をしてやり、②企業献金がまずければ企業一丸、管理職一同申し合わせ個人献金を差配し、③どんな不況であろうが税金投入の公共事業として様々な仕事が発注され、④監督・認可の政府機関の高級官吏が老後の世話までしてもらえ、、、枚挙十指に余る。

そういう筋道でみると、今(2011年5月から7月あたり=拙文入力時点)の首相・菅直人はじゃまである。ただし世論調査においてに代わる人材はだあれもいない。あんなに威張ってみせる自民党総裁の谷垣も人気順位が5位から外れる始末(6月のNHK調査)。しかしながら、首相・菅直人はすでに屋根に上がって梯子が外され、そこから下に向かってどなっても、梯子をかけ直し登ってきてくれる盟友がいない。

この間に週刊誌は数誌色々読み比べた。朝日、毎日、現代、ポスト、AERA、ほか若干、すべて週刊誌。臨時の朝日ジャーナルも。ただし当方のサイフの都合で毎号全てではない。ポストが「放射能なんか怖くないんだ」と「冷静」を装う原発擁護派からいよいよ脱落かと思えばそうでもない。週刊朝日が朝日新聞同様にどっちに転んでも深傷ふかでを負わない気配りでつまらない。週間新潮は資本の提灯持ちが書くゴシップで、読まなくても分かるから買わない。

週刊誌以外に簡単な本を何冊か読んだ。すべて就眠前、寝床の読書で、開くや寝てしまったり、非効率このうえなかったが、自分の読書記録として簡便な記述で残し置きたい。

まずは、「偽善エネルギー」の著者武田邦彦リンク 当サイト「M9は想定外か?」にて先述が、今回の原発事故で、日本の原子力平和利用の偽善ぶりに「目からウロコ」の境地に至ったことがよくわかる当人のブログから。そもそも「偽善エネルギー」は原子力の次世代へ向けての優位性(逆に各種自然エネルギー喧伝の偽善性)を述べることを目的に書かれた一冊であったわけだが、3.11を境に今昔の感あり。このブログ一本においても、事故発生以来、官民合体の強引な節電要請がいかに国民を衆愚視したものであるかを明瞭に整理し述べている。当初よりこの指摘をなす者は少なからずいたが、彼のブログはヒット数においてダントツで、世論に対する一定の影響力がある、と思われる。

 

  「節電」は本当に必要なのか?(1)  電気代はなぜ高い?

(平成23629日 午前10時  武田邦彦


この夏は電気が足りないと言う。  

でも、どうもうさんくさい.一説では  

「原発を再開したいから、電気が足りないと脅しているだけだ。寝苦しい夜を過ごさせて原発賛成にするためのあくどい宣伝だ」とも言われる.  

東京電力は日本の代表的な企業だから、本当はこんなことを言われるようなダメ企業では困るのだが、なにしろ 「東電はウソを言う企業だ」というのが、原発事故以来常識になっているので仕方が無い。  

そして、福島原発事故の直後、東京電力が「計画停電」というのをやり、大きな影響がでた。  

電気機器をつかって患者さんの命を守っている病院や、1度とめたら製品がダメになってしまう工場などはビリビリしていたものだ。  

・・・・・・  

明らかにおかしい。  

東京電力がもっている発電の能力は、6300万キロワット。  

これに対して計画停電が実施された3月14日の電力消費量は、たった2800万キロワットだった???  

それで「足りない」??? ???  

・・・・・・ (中略) 

「原発事故で電気が足りなくなるので、計画停電をする。国民は協力しろ」 と東電が言った日の設備稼働率は、実に44%!!  

さすが東電だ。これまで、営業成績が悪くなると、電気料金を上げれば良いという気楽な商売をしてきた。事実、日本の電気料金はほぼ世界一、アメリカの3倍とされる.  

それでもお客さんから文句は来ない。もし文句を言えば「じゃ、電気を売らない」と言えば、それで良い。「やらせ番組を放送しているから、受信料を払わない」と言う視聴者を不払いで裁判に訴えるというNHKと同じ体質だ。 

・・・・・・(中略)  

稼働率が低い理由は、真夏の昼間に多くの人が「エアコン」を使う.かつてはこれに「高校野球」が加わってテレビを見るので、さらに電気が必要になる.  

だから、半分しか使わない春の稼働率が44%になるのは仕方が無いというのが「東電の言い分」である。  

もちろん、東電の言い分がウソだ。ウソをつく人というのは、  

「原子炉が壊れているか?」  

ということだけウソをつくのではない.  

「原発事故が起こったから、電気が足りない」というのも、  

「日本は質の良い電気を供給しているから、電気代が高くなる」というのも、

全部、ウソなのである。  

電気の蓄積方式(集中蓄積、分散蓄積)、発電方式(設備費と燃料費の関係)、電気機器会社とタイアップした電気の平準化システムなど、設備の稼働率を上げるためには、やることは山ほどあるけれど、このような「面倒な事」より「たっぷりと発電所を作って、時々、動かしたらよい」という方が楽だ。  

・・・・・・  

稼働率が下がり、経費が嵩むようになれば、電気代を上げればよい。簡単で誰にも文句を言われない。  

それに対して、電気が足りなくなると、文句を言われる.  

だから、発電所をたっぷり作って悠々と生活した方が良いと思うのはお公家さんの東電の経営者としては当然だからである.  

(中略) 

でも、もし東電に競争相手が居たら、設備の稼働率はたちまち80%になり、電気代は半分になるだろう。 その点では技術も大切だが、安全を守り、電気代を安くするには、「電気を供給する社会的なシステムに競争原理を入れる」ことも重要であることが判る。  

 

「節電」は本当に必要なの?(2) 本当は津波ではなかった!

(平成23629日 午後1時 執筆 武田邦彦

 

先回、電気代がなぜ高いかを設備稼働率ということで整理をしてみた。  

原発事故が起こった後の3月14日、東電の設備は6300万キロワットもあるのに、東電管内の国民が使った電気は、わずか2800万キロワットだった。それでも東電は「計画停電」をすると言い張っていた。  

その理由は「原発が事故を起こしたから」ということで、多くの国民は「仕方が無い」と思った。・・・(中略)  

福島第一原発の発電量は全部で470万キロワットだが、事故当時、4号機から6号機までは定期点検中で、もともと動いていなかったから、3月14日に東電が「実質的に事故でやられた原発の発電量」はわずか200万キロワットだったのだ!  

(中略)ジャブジャブ余っているのに「計画停電」をした。国民は大変な迷惑を被ったが、政府(経産省)も、マスコミもこのトリックはほとんど言わなかった。・・・ どこにトリックがあったのだろうか? 実は「福島原発が想定外の津波で壊れたから停電」ではなく、

1)   東電は原発だけではなく、火力発電の耐震性もサボっていた、 

2)   設備をいつも休ませていた。  

の2つが主な原因だった.

 

繰り返して言いたいのだが、3月の計画停電は、「地震で福島第一が事故を起こしたから電気が足りなくなった」のではなく、「地震や危機に対する東電のあまい体質がもたらしたもの」だった。  

実際に東電はどんな状態に陥ったのだろうか?(単位は万キロワット)  

総発電能力               6266  

福島第一で動いていてダメになった量    203  

福島第一で休んでいた量           78  

津波でやられなかった福島第一       188  

津波でやられなかった福島第二       440  

地震でやられた火力発電所の量       680  

(止まった総量)            1588  

(津波に関係なく止まった量)      1308  

地震後の総発電量            4678
3月14日の消費量           2800
 

・・・ これでもまだとんでもなく余っていた(約2倍)。  

「計画停電」を大々的に発表したが、現実には(ほとんど)実施しなかった。それは、詳しく調べると現実には電気はあったということになるからだ。でも、こうして内容を見ると、ずいぶん印象と違う.  

東電は「津波でやられた。想定外だった」と言っているが、実は津波で破壊したのは、6266キロワットのわずか3%、203キロワットに過ぎない.  

今回の震災はマグニチュード9という大地震だったが、福島原発は震度6である。震度6で原発も火力発電もやられて、電気が来なくなるということになると、東電は「何やっているのだ。地震の備えが出来ていないじゃないか!」と言われるので、福島第一の1から4号機が津波に襲われたことを全面に出して釈明した。(中略)  

本当のところは、大震災で停止した発電量1588キロワットの内、実に82%の1308キロワットが「地震」だけで壊れたのだった。

それも震度6以下である。つまり、  

1)   現実には3月14日の計画停電は必要がなかった(設備能力は2倍あった)、  

2)   普段から稼働率が低い運転をしていたので、そのツケがまわった、  

3)   計画停電の理由として東電が言った「津波」の影響はわずか3%だから、これはウソで、「普通の規模の地震」で、多くの原発、火力発電が壊れたからだった、  

というわけだ。でも、自分たちのミスは「大人しい国民」と「自分たちをかばってくれる政府とマスコミ」に押しつけるという、いわば小児病の会社、それが東電のようだ。  

・・・・・・  

今、滑稽なことが全国で始まっている.これから来る夏、電気が足りないから「節電」をしなければならないと言われている.それも東京ばかりではなく、名古屋でも大阪でも、また全国のほとんどのところで冷房温度を上げたりして、「省エネ」に努めている。  

いったい、どうしたことだろうか? 本当に電気は足りないのだろうか? 東電の福島原発と中部電力の浜岡原発は止めたけれど、それだけでなんで日本中で「節電」が必要なのだろうか? また私たちは騙されて、暑い夏を過ごそうとしている。もう、日本の誠意はどこに行ったのだろうか?  

(当HPにおいては文中、中略・後略・空白行の割愛、がある。)

 

  211.7.22. ゆうべの読書 より転載

 
「原発をつくった私が、原発に反対する理由」
菊池洋一 角川書店 2011.7.10発行 1470
 
* 著者=東海第2原発、福島第1原発6号機のGE社企画工程管理者。
 
装置としての原発がいかなる態のものなのか、特に「3,11事故ではどこがどう破壊された、と見るべきなのか」が、作った側の目で平易に描かれている。 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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  「偽善エネルギー」 武田邦彦

   2009年11月 幻冬舎発行、新書版

著者にはすでに「環境問題はなぜウソがまかり通るのか」(1,2,3)等がある。専攻=資源材料工学。

以下文中の青字はボクの頭に残る本書の要点。

まず、石油資源開発が1960年代後半より徐々にジリ貧の傾向にあり、なおかつ逆転的大鉱脈発見がもはやありえないことを指摘する。

では、ということで、「環境にやさしい」などのことばでもてはやされる風力、太陽光発電。それらが脇役から,将来は主役に躍り出ることなどありえない幻想であることを、人類が取得可能な各エネルギーの量とコストから指摘。(脇役としてまでも無用とは言ってないが、日本にはともに不向きと説明)

更にひと押し、石油資源の節約キャンペーンでやる、容器リサイクルやレジ袋有料化などは、とるに足らない些末な努力である。ハイブリットカーの燃費改善もトータルの資源節約からみて全く貢献性がないこと

このあたりが手厳しいが、ボクの以前からの認識と同じで目新しい言説とはいえない。(ボクもプリウスを買おうと思ったことはない)が、環境問題で袋小路に入って行きやすい部分の世論に批判的にかかわり、一時マスコミも取り上げていた。

結局、将来頼りにできるエネルギーが「原子力」に向かうことは必定である(原子力以外にいったい何があるのか!)と、これが著者の結論である。

それでは、想定外事故や、国際紛争やテロとの関係で危険性はないのか? 核兵器開発・保有の拡散に繋がらないのか? 

全てノーとは言えない。10年を空けずに戦争をやる好戦国家が日本の同盟国である事実を想起すればわかるであろう。また、地震国日本で「残余のリスク」という「事故は起こらない」ことの言い換えが専門家や国によってなされているが、この説明はまやかしであり、原発は地震が苦手であるから必ず事故への備えをしておかなくてはならない。柏崎刈羽原発では施設の一部がめちゃめちゃに壊れ、実際にある程度の放射能が漏れる事故が起きた。が本質的に日本の「軽水炉」は安全性が高いのである。ただし世界には「チェルノブイリのような欠陥原発」もあるが、われわれ日本人はそういうものは無視して考えておけばいい。 

ぼくは、ここいらを少し変な理屈だと思った。

従って、原発を保有するには、さいごに政治環境(人為的条件)のクリヤーが求められる。それが整えば、核廃棄物処分にも問題は生じない

果たして政治環境の条件クリヤーなんて原発に関してありえることなのか?、政治家には巨大利権の固まりに見え、また国家的秘密情報の固まりでもある。 

なおかつ、どのような楽観的人間が見ても、結果が出てしまえば、福島第一原発はチェルノブイリを笑うことなどできない欠陥装置ではなかったか。また、「原発を保有するには政治環境のクリヤー」という条件付けが画餅に過ぎないことぐらいは分からなくてはいけない。これは我が国のことであり、プルトニウムの生産においてすでに核保有国に準じた国際評価を受けてきており、事実、アメリカはかなり神経質に日本を監視してきた。保守を自認する一群の政治家層には憲法改正とセットの自前核武装志向が見え隠れもする。

ましてや、アジアの諸国家が一斉に原発建設に動き出している。中国が日本同様の原発大国化するのは時間の問題で、例として新幹線やモータリゼーションの普及速度を踏まえれば、今後更に「核電(原発)は25基」建設の実現性は十分推測できることである。この核電は全機最新最大規模のものを予定し、既設分と合わせ8000万kwを見込む。風力発電ではすでに日本の数段先を行く先進国であるが、核大国をも志向しているのである。

また、日本は低開発国にたいしても原発技術輸出国として動き出し、ベトナム、ブラジルとは契約締結段階に至っている。それら諸国は易々と核兵器保有国に変身していくことになるであろう。本書においても、核利用技術の民生・軍事間の垣根がほとんどないことを述べている。特に広島型原爆は爆縮技術の面でも製造が容易であり、爆発実験を一度も行うことなく実戦使用された。


本書が出たときに著者はまだ内閣府原子力委員会および安全委員会の委員であった。本書は原発推進論として書かれたものなのであった。

本書第5刷版は3.11の事故後4月25日に急きょ出たものだが、読んでみて(旧版と読み比べてはいない)福島第一原発の事故の実態を踏まえた補筆があったかもしれない、と感じるような箇所があった。

記事補足 ( Yahoo!ブログ 2011.5,12.から引っ越し ) 

 「偽善エネルギー」の著者 武田邦彦氏のブログより 
キーワード「想定外」に着目 
原発論点7 原発の4重苦

 

(平成2359日 午後10時 執筆)    武田邦彦     

 


 浜岡原発の運転休止が決まって、急に、原子力発電所をこのまま使い続けるかという議論がおきています。 

考えてみますと、仮に現在、日本で用いられている「軽水炉」という原子炉が安全だとしても、原子力発電所にはいろいろな問題点があることに気がつきます 。 
・・・・・・  
1の問題点は、原子炉自体が安全でも、今回の福島原発のように電源系が失われたり、さらに、タービン建屋の中にある熱交換器が損失したりしますと、原子炉を冷やすことができず、福島原発のような事故になることがわかりました。  

 

原子力発電所は原子炉だけで成り立っているわけではなく、制御系やその他の機械の集合体なので、「どこが破損すると全体の機能が失われるか」について、もう一度チェックしてみないといけないことがわかりました。 

 

青森県の東通原発も、震度4の地震で全部の電源を失いました。  
ディーゼル発電機が動かなかったのは部品のつけ間違いでしたが、そのような人間のミスも含めて、震度4の地震で全ての電源を失うというような事態が起きているのです。 
・・・・・・・・・  
2は今回の事故で有名になった「想定外」の問題です。  
この「想定外」の問題には二つ内容があります 

 

ひとつは東京電力が想定したらその範囲外の時には大きな事故になるということ。 

 

第二に、もともと人間が考えられる想定外が起こると事故に繋がるということ。 

 

普通の意味で「想定外」といいますと、科学といっても無限には予想できないので、考えられない範囲が起こるという(善意の)意味があります。 
しかし、今回の福島原発の事故は、人間が考えられない範囲という程大げさではなく、単に「東京電力が考えた範囲外」だったということだったのです。 
それに加えて国民の代わりに、原発の安全性を見ていたはずの保安院が全くチェックしていなかったということも明らかになりました。
  
福島原発の事故が起こった後も、この想定外の問題は残されています。
つまり「すべての日本の原発には想定外が存在し、その想定外が起こった時は、ほぼ現在の福島原発のような事故になる」 ということがわかったからです。 

 

ところが、福島原発と同じように三陸沖の地震に見舞われた女川原発は、破壊されませんでした。だから、設計は悪くなかったという見方もあります。 しかし、これは偶然です。 
予想された津波の高さは、女川でも福島原発とほぼ同じ6メートルから7メートルでしたが、東北電力の設計者が慎重だったために、15メートル程の高台に立てたので破壊を免れたのです。 
つまり、たまたま東北電力の中に慎重な設計者がいたとか、東北電力が高台に土地を持っていたということによって、女川原発は破壊を免れたのです。 

 

こんな偶然が重ならないと原発の安全性が守られないというのでは、安心してはいられません。 
しかも、論理的にも「真の意味の想定外」の時にどのように原発を守るかということについて全く議論が進んでいません。 
・・・・・・・・・  
わたくしも最近まで原発の危険性というのは、 
1に、原子炉だけを守って電源や熱交換器等のその他の機械について安全性が十分に確保されていなかったこと、 
第2に、想定外のことについてどのように安全性を確保するかということ、 
の二つが重要なことであると考えていました。 
ところがそれでは甘いことがわかってきました。  
つまり、原発の危険性の第3は、原発に事故が起こった時に、誰が住民を避難させるのか、どうしたら安全性を確保することのかについて、何のシステムも対策もなされていないということです。 

 

あるところで、自治体と電力会社の会議がありました。 その会議で、わたくしは次のような質問をしました。 

1.    もしも原発が事故を起こし、水源が汚れて市民が水を飲めなくなったときに、電力会社は住のためペットボトルを用意していますか? 

2.    もしも原発が事故を起こし、児童が被曝しそうになったので、疎開させようということになった時に備えて、電力会社は疎開先の学校を準備していますか? 

3.    もしも原発が事故を起こし、土地が汚れたときに、電力会社は土地を綺麗にしにきてくれますか? 

 

わたくしのこの三つの質問に対して、電力会社はいずれも「ノー」と答えました。 
この答えは、福島原発の事故の状態を見ているとはっきりとわかっていることでもあります。  
そこでわたくしはさらに確認のために、 
「電力会社は原発を運転しているのに、原発が事故を起こして汚いものが広く散らばってもそれを片付けようという意思はないのですか?  それは法律的に義務がないという意味ですか、それとも、企業の社会的責任として、行わなくてもいいというお考えですか。」 

 

これに対しては電力会社は答えてくれませんでした。 
現代の社会でちゃんとした会社が自分の製品が欠陥であっても、知らないかをするということは、ほとんど考えられません。 
しかしそれが、原発では現実なのです。 

 

しばらくたって、電力会社の人は、「損害が起きた時の訴訟の対象は電力会社で、それは全部引き受ける積もりです」とお答えになりました。 
そこで私が、「被爆をして被害を受けてから損害賠償しても意味がないのではないか、むしろ被爆をしないように全力を尽くすべきではないか」と申上げました。 

 

その後の議論は割愛するとして、会議が終わったとわたくしは自治体の人に、  
「それでは住民を助けるのは自治体の役目でしょうか?」 と聞きました。自治体の人は、 
「毎日、住民のサービスをしているのですが、法律的には地方自治体には原子力関係の危険を防止するような仕事ができないのです。 原子力関係はすべて国がするようになっているのです。」 とお答えになりました。 
  
つまり現在の日本では、これだけの数の原発があり、福島原発のような事件が起こっているにもかかわらず、原発事故が起こっても、電力会社も自治体も住民を救うことができないというシステムなのです。 
人間のやることには何か間違いがあることがあります。その時に、その損害をできるだけ小さくするようにする手段があります。 
例えば海の上を航行する船は、時々、遭難をしますが、必ずボートで逃げられるようになっています。ボートで全員が救われるとは限りませんが、かなりの数の人がそれで命が救われるのです。 
ところが原発にそういうシステム自体がないということになると、どんなに安全に作っても危険であるということになります。 無条件で危険となります。  
これだけをとっても現在、日本の原発は「安全なものを一つもない」ということが言えると思います。 
・・・・・・・・・  

4 番目の危険は、さらに人間に強く関係しています。  

 

それは、ウソというと少し表現が強すぎますが、放射線による被曝を少なく見せたり、原発で起こっていることを軽く表現したり、またこれから起こりそうな危険が生じても、できるだけ外部に知らせず内部だけで処理しようとすることです。 
一つの企業が自分の会社を守るために、できるだけ隠すということは当たり前のように思いますが、私が若い頃ある化学工業に勤めた時には全く違いました。  
新入社員のわたくしは何回も教育を受けましたが、  
「仮に、どんなに小さな小火(ぼや)が起き、それを自分で消せると思っても、まずは消防に電話をしろ」  
と教育されました。 
その工場は大きかったので、工場の中に2台の消防車が常駐してましたが、そこに電話するのではなく「市の消防署に電話するように」との教育を受けたのです。 
その理由は、「わたくしたちの工場は社会的存在であり、社会の人に危険を及ぼしてはいけないので、何が何でも市の消防に最初に通報し、そのあと、工場内の専用消防に電話をしろ」 と言われたのです。  
これが今から40年程前であることを考えると、現在の方が社会における企業の責任が後退しているように感じられます。 
・・・・・・・・・   
つまり、現在の原発問題は、原発自体の技術問題もありますが、それより多くが「社会のひずみ」がもたらしているもの、社会が「誠実性」を欠いているところに真の問題点が存在すると考えられます 

 

( 以上。  尚、途中および以下に割愛箇所がある。  )  

 

上記、武田氏の指摘の最後の指摘、 
【4、放射線による被曝を少なく見せたり、原発で起こっていることを軽く表現したり、またこれから起こりそうな危険が生じても、できるだけ外部に知らせず内部だけで処理しようとすることです。】
 この下線部分にかんして早速昨日は思わぬ場所の作物が出荷停止に、という報道があった。概略整理すると以下のごとし。 
 
≪神奈川県は11日、同県南足柄市で9日に採取した「足柄茶」の生葉から、 暫定基準値を超える放射性セシウムが検出されたと発表した。同県産の農産物が暫定基準値を超えたのは初めて。
県は南足柄市などに対し、今年産の茶の出荷自粛と自主回収を呼び掛けた。
県によると、南足柄市の生茶から1キログラム当たり550~570ベクレル基準値同500ベクレル)の放射性セシウムを検出。
県によると、足柄茶を生産する16市町村のうち、基準値を超えたのは6市町村。測定値は、南足柄市1キロ当たり550~570ベクレル▽小田原市同770~780ベクレル▽愛川町同670ベクレル▽真鶴町同530ベクレル▽湯河原町同680ベクレル▽清川村同690~740ベクレル-だった。≫

足柄地方よりも人口が密集する小田原市の方が汚染されていることが判る。福島第一原発から300Km近く離れている。すでに公表されている値からはこのような汚染が出ると想像されるような経過はなかった。
計測にごまかしが多いことが既に多方面から指摘されている。
農産物に絡むことでは、計測方法が無知または故意によって歪められている。
よくある市役所屋上(地上10mだの20mだの)から空中に向かい計測器が開いているような場合だと、
地上に降下した放射性物質(チリ等に付着して到来)には感応しない。
しかし「以前からそこで計ることになっています」と役所は答える。これはほぼ例外なく、、、らしい。観測の継続性のようなことがあるのだろうが、この場合は実地の必要性に則さず、役所の怠慢でしかない。 

 


武田氏は3.11以後、原発関係ブログのアクセス数がダントツの人だそうです。以下、最近の彼のブログを若干紹介しておきますので読んでみて下さい。

 

 
「節電」は本当に必要なの?(1)・(2)